DAWN OF THE ZOMBIE 〜モダン・ゾンビ編(後編)〜

いよいよここからは、皆さんの知っているゾンビが誕生します。


「カルトの巨匠」ジョージ・A・ロメロ監督

「モダン・ゾンビ」の父であるロメロ監督は、単に「ゾンビ」の設定を一新しただけではありません。彼の凄さは「ゾンビ映画」を再定義したことにあります。

その真意は、続きをどうぞ。

1968年、ロメロ監督の長編デビュー作 ”Night of the Living Dead ” が公開。

新しいゾンビは、突如としてアメリカに出現しました。

墓参りに来た主人公たちに襲いかかる背の高い男。会話なんて出来そうにないソイツは、どれだけ抗っても執拗に追いかけてきて、一向に諦める気配がない。さらによく見ると、同じヤバそうな連中が他にも大勢やって来るではないか。一体どうしてこんなことになったのか?登場人物は増えるが、状況は一向に良くならない。それどころか、人が増えるほど問題も増えていく。ゾンビという問題を目前に、人間同士が争う愚かさは、今から50年も前にロメロ監督が切り込んでいたのです。そして映画は「ゾンビ発生」の明確な答えを示すことなく、エンディングへと進む。「原因がハッキリしないまま、為す術もなく世界が終わる」これが当時の観客に大きな衝撃を与えました。まるで「地獄」を見せられたようだ、と語られるほどです。


そして観客に恐怖を植え付けた監督は、新たに定義した「ゾンビ」に最高の舞台を用意します。

“Dawn of the Dead” が世界に提案したのは、ずばり「ゾンビ」+「ショッピングモール」

ロメロ監督が初めてショッピングモールを訪れた時に見た光景は、消費社会を象徴するような巨大な城と、その中で「なぜ必要か?」なんて考えもせず、ただひたすら消費活動を続ける大勢の買い物客。その客がまるでゾンビのように見えたのだ、と監督は言います。そして観客は、ショッピングモールでの自由を謳歌する主人公たちに、一瞬でも夢を見てしまうのです。「もし、自分なら…」かねてから欲しかったブランドものを手に入れ、宝石はポケットにしのばせよう…なんて考えたかもしれない。そしてふと気がつく。「これは必要か?世界が終わるかもしれないって時に…」。痛烈な皮肉が込められていながら、シミュレーションとしても楽しめるこの映画は、またしても世界に大きなインパクトを与えました。

ロメロの起こした波により、80年代にもなるとゾンビ映画が大量に制作されるようになります。そしてそのパンデミックは、思わぬ人物をも感染させてしまいました。


80年代MTVが開局し、ミュージック・ビデオの制作がこれまでになく盛んになったこの時代。キング・オブ・ポップことマイケル・ジャクソンが、アルバム売り上げトップを維持すべく、あるMVの制作に取り掛かります。それが、かの有名な「スリラー」です。およそ14分間という、MVにしては異例の長尺でありながら、ストーリー仕立てで気がつくと最後まで見てしまう、とても魅力的な作品。業界に革命を起こしたこのMVにより、アルバム”Thriller”は「史上最も成功したアルバム」に認定されます。そして何より、あのキング・オブ・ポップがゾンビに目をつけた、つまりポップ・カルチャーがゾンビを認めた瞬間でもあったわけであります。

そしてゾンビはこのまま人類に受け入れらるかと思いきや・・・

90年代に入って、急激にゾンビ映画が減少します。

80年代ゾンビブームの反動は、一時的にゾンビを映画界から消し去りました。しかしここでまた意外な、しかし今となっては当たり前な分野に、ゾンビウィルスの感染が拡大していくのです。

1994年、SONYからゲーム機ハード「PlayStation」が発表されます。その2年後に発売された 三上真司 監督作「バイオハザード」は、決して大々的に宣伝されたわけではありませんでした。それにも関わらず、その徹底した恐怖演出が評判となり、口コミで大評判に。気づいた頃には、世界中でヒットを飛ばす名作となったのです。伝説のゲームとなった本作は、80年代に構築されてしまった間抜けなゾンビのイメージを払拭。「ゾンビ1体ですら マジ怖い」をプレイヤーに痛感させることに成功しました。また「その世界で、自分は何ができる?」という妄想を、ゲームを通して検証することができたのです。


この作品以降「ゾンビ」は、ゲーム産業でブーム、映画産業でブーム、ドラマシリーズ産業で世界規模の社会現象を起こし、完全なる復活を果たします。その感染力と生命力は、まるでジャンルそのものがゾンビ的と言っていいほどです。

次はどの分野に感染して、どんなゾンビを見せてくれるのでしょうか?


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